GIMブログ(あくえりの暢気にジェネラル)

JCHO東京城東病院総合診療科の森川暢によるブログです。総合内科と家庭医療が融合した、病院総合医の理想像を追い求めています。夢は、理想的な病院総合医のシステムの確立と普及です!今日の時代におけるGIMは、診断学や内科マネージメントに加えて、家庭医療学を専門にする必要があると考えています。このブログでは徒然なるままに思うところを書いていきます。

GeneralistとMultispecialist


友人のソーシャルネットワークでの書き込みをみてなるほどなと思いました。
GeneralistとPolysubspecialistという概念を提唱していました。

*とある先生からのご指摘で、PolysubspecialistよりもMultispecialistが良いのではというご意見を頂き、Multispecialistに変更しました。
個人的な解釈ですが、前者は総合診療(家庭医療)の理論を基盤に置いたジェネラリズム、つまり全人的に診ることの専門家という意味になるかと思います。
あるいは、コモンディジーズの専門家ともいえるかもしれません。例えば、それが病院セッティングになるのであれば誤嚥性肺炎や尿路感染など高齢者のコモンディジーズを深める必要があります。医学的なところだけではなく、特に高齢者で問題になるようなリハビリ、栄養、倫理などをトータルマネージメントする専門性と言い換えることが出来るかもしれません。
一方、Multispecialistは内科を中心にあらゆる病気に対して深く広い知識と経験を持つ医師像と言えるかもしれません。知識を日々アップデートして幅広い診療を自分自身で行うことに専門性を持つ医師像かもしれません。正直言うと自分はこのような医師になりたくて、なれなかった人間かもしれません。だってカッコいいんですから。何でも知ってて何でも出来る医者って。正直、誤嚥性肺炎を適切にマネージメントできますというよりも、ずっとカッコいいと思います。
しかし、Multispecialistにも弱点があります。それは、限られたスーパーマンでしか成立しないということです。そもそも、日々知識をアップデートし続け、さらに深く広い知識を縦横無尽に駆使できる医者がどれほどいるでしょうか。。私には困難な道かもしれません。総合内科の後期研修を終えた医師がそのまま総合内科としてキャリアを積まずに、専門内科に行ってしまう理由はここにあると思います。つまり、スーパーマンとしてのMultispecialistに自分はなれないと悟り、専門内科に行く道を選ぶのだと思います。また日本ではまだ専門医志向が強いという現状もあると思います。実際、総合内科がベースにある専門内科医は大学病院でも活躍できる一方、ベースに総合内科があるので小規模病院や訪問診療でも活躍できる素地があります。逆に、Multispecialistが十分に活躍できる環境は実は限られていているように思います。Multispecialistは従来の専門医とアイデンティティーが被る可能性があり、優劣の対立構造になるリスクがあります。
Generalistはも同様に大学病院などでは生きる道がなさそうですが、そもそも専門性やアイデンティティが従来の専門医と被らないので、従来の専門医が興味がないけどしかし大切なところで活路を見出すことが出来るかもしれません。例えば、研修医教育、チーム医療、誤嚥性肺炎やリハビリ栄養への横断的介入などです。つまりGeneralistはスーパーマンでなくても成立し、かつ汎用性があるという意味でこれから総合診療を目指す場合は最低限身に着けるべき素養と言えるかもしれません。
ではMultispecialistがダメかというと決してそうではありません。いつの時代もカッコよさを追求したいものです。何でも知ってて何でもできる医者ってかっこいいですから。特定の分野の発展にはスーパースターは必要です。
理想は、GeneralistとMultispecialistがアウフヘーベンした医師像です。
今度、JPCAで行う勉強会の講師はまさにそれを体現しています。

http://www.primary-care.or.jp/imp_news/pdf/20180305.pdf


ジェネラリズムを理論と実践から体得しつつ、さらにMultispecialistを追求する若い医師が出てきてくれたら最高なのにと思っています。
きっとそのような医師は新しい総合診療専門医研修から生まれてくれるのだと僕は信じています。そのような医師が育つための下地に自分がなれればと夢想しています。

私はGeneralistとMultispecialistとしても全く未成熟ですが、これからも努力をしていこうと思います。