GIMブログ(あくえりの暢気にジェネラル)

JCHO東京城東病院総合診療科の森川暢によるブログです。総合内科と家庭医療が融合した、病院総合医の理想像を追い求めています。夢は、理想的な病院総合医のシステムの確立と普及です!今日の時代におけるGIMは、診断学や内科マネージメントに加えて、家庭医療学を専門にする必要があると考えています。このブログでは徒然なるままに思うところを書いていきます。

マネジメントを読んで。。

ドラッカーのマネジメントエッセンシャル版を読み終わりました。

そして、間髪入れずに「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」も読んでみました。

 

ふつうは、もしドラを読んでからドラッカーを読むと思うのですが、エッセンシャル版を読んでからもしドラを読みました。

むしろ、エッセンスの復習になりこの順番でよかったのかと思いました。

もしドラ、侮るべからず。

 

顧客からはじめるというのは、確かにその通りで、そしてこの業界も顧客からはじめるべきなのかもしれないと思いました。

外から見て、何を期待されているのか。

それを知るための手段がマーケティングであると。

 

日々、新しくあり続けることで、業界の在り方自体を変えるか。

それがイノベーションであると。

 

ドラッカーを読んでいて思ったことは、マネージメントに関する体系的な知識に関しては、おそらく医療業界よりもビジネスの世界のほうが進んでいる。

臨床医であるために臨床の勉強が必要であるように、マネジメントをするためには、マネジメントの勉強が必要ではないかと。

 

もちろんフィクションですが野球部のマネジメントにドラッカーが有用であれば、医師の業界にも当然、マネジメントは応用できるのではと思いました。 

真摯さが必要であるとすれば、マネジメントの知識がなく、マネジメントを行うことあ真摯さに悖るのではとも思いました。

もちろん臨床医であり続けることが最も大切ではありますが。。

とはいえ、MBA取得もありなのかもしれない。。

 

●家庭医総合医のキャリアについて● 「臓器別専門を経てから家庭医総合医になったほうがよいのか?」

小宮山 学 - ●家庭医総合医のキャリアについて● 「臓器別専門を経てから家庭医総合医になったほうがよいのか?」... | Facebook

 

小宮山 学先生の Face bookからご本人の許可をいただき引用しています。

個人的にも非常に我が意を得たりというかんじで勉強になりました。

以下引用になります。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。

Geleralist Party というものに行ってきました。写真とりわすれたので、案内ページのリンクをはっておきます。


 声をかけられ、あまり趣旨が分からないまま言ったのですが
「Gereralに興味はあるけど進路に悩む学生さんと、病院や診療所などの現場で働くGeneralistがあつまって、お酒も交えながらざっくばらんに、学生さんの進路相談しましょうよ」というような趣旨の会でした。

 単に集まって飲むのではなく、Generalistのなかでも病院中心・診療所中心・留学経験者、など似たキャリアパスをもつ医師をテーブルごとにグルーピングして、学生さんのほうが時間でぐるぐる回っていろんな医師の話を聞いたり相談するという仕掛けがあり、ちょっと合コンパーティーみたいでしたw。ちなみに私はF先生と一緒の「大御所テーブル」に配置されました(^_^;。まぁ医師年齢は結構いってますが、家庭医年齢はまだまだ、、、、あれ?家庭医年齢も結構いってるか。
”いつまでも、若手と思うな総合医” 
この業界、自分だけ若手と思っている医者けっこう多いですw

で、6グループの学生さんたちと3時間にわたっていろいろ話したのですが、ほぼ全てのグループから

「何か(臓器別の)専門をやってから家庭医総合医になるほうが良いと言われているのですが、実際どうなんでしょうか」

という悩みが聞かれました。

もう私が学生のころから、いや、その前からずーっとGeneralを目指す学生や研修医の間で何十年も伝統の口伝のように語り継がれている悩みです。
私も耳タコのようにこの相談を聴き続けて、悩みに答え続けていましが、ある程度自分の答えのようなものが決まってきたので、ここでまとめておきたいと思います。おそらく、多くの家庭医総合医の先生も、この悩みは学生や初期研修医から相談を受けていると思うので、もしこの書き込みを読んで自分なりのお答えをもつ先生があれば、ぜひ教えていただきたいです。

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まず私のキャリアは、医師7年目まで呼吸器内科(専門医はとってません)で8年目から家庭医に転向したのですが、まさに専門医→総合医のキャリアを歩んだ私の答えは明確で、

★順番としてはむしろ家庭医総合医を最初にやってから専門医になったほうがいい、最終的に家庭医総合医になるつもりなら最初からなったほうがいい★

というものです。

具体的に例えば呼吸器内科→家庭医を選んだ私の場合、喘息やCOPDなどコモンな呼吸器疾患や、胸部レントゲンときに胸部CTなどの読影、については、確かに呼吸器のキャリアは役立ちます。ですが、呼吸器内科として努力していた気管支鏡の知識や技術など役立てる機会はありませんし、肺癌の化学療法などは現在治療する機会もなければ、日進月歩の世界なので当時の化学療法の知識など全く役立ちません。しいて言えば、肺癌で亡くなる人が何に苦しみどう変化していくか、ということを見た経験は、在宅で肺癌のターミナルをみるときなどに役立ってはいます。

ただ「医師として」患者さんと接して、ともに苦しみ悩んできた、という経験は家庭医になっても大いに役立ちました。しかしこれは何かの臓器専門を修めたからというより、何科の医師であろうとも、日々患者さんと真摯に向き合うことで医師として得られる経験知なので、必ずしも「臓器別専門を選ばないと得られない経験」ということではありません。むしろ家庭医総合医のほうが医学教育に強い人が多いので、そのような経験を自己努力だけでなく「日々の振り返り」「ビデオレビュー」などの教育システムや「患者中心の医療」など論理的な枠組みも与えられ、効果的に経験知を重ねられる機会が多いと感じます。

一方で家庭医総合医を修めてから専門医になった場合、なったあとも、かなり知識や経験は役立ちます。まず、どの臓器の病気の患者さんであっても、入院・外来問わず「臓器だけ」を健康問題として持っている人はまれです。どの臓器疾患であっても、他の臓器疾患や、個人の性格や哲学、家族や地域などの生活社会環境と切り離して存在はしません。

病態生理だけみても、自分の専門の臓器疾患が全体の病態のなかでどのような位置づけにあるのか的確に感覚的に把握できる技術や経験をもっていることは大いに役立ちます。たとえば外来でも入院でも他科にかかっている患者さんを診たら、ほぼ無意識的に他の先生の診療内容や処方をまず確認するクセは、多くの総合医は持っていますが、専門医の先生は必ずしもそうではありません。また、入院でも外来でも専門としてみている病態以外の、コモンな病態が発生したとき、そのつど専門医に紹介するのではなく、主治医としてコモンな病態全般に対応することもできます。

さらに、家族や地域の生活社会環境を把握して対処できる技術も、専門医としても大いに役立ちます。患者個人や社会のもつリソースを把握したうえで、個々の患者さんがふだんの生活環境のなかで過ごすことをイメージし、生活のなかで医療的側面から患者さんをサポートする環境を構築する技術を、家庭医総合医はトレーニングのなかで習得します。私が家庭医になる前の病院で働いていたとき「病気はよくなったけれどADLが低下して、もとの生活環境のままには退院させられない」という患者さんの退院調整にはずいぶん苦労しました。もしいま同じことをやったとしたら、当時より、かなり上手なマネージメントができるのではないかと思います。

こうした家庭医総合医で習得する技術や経験知は、高齢化・多死社会をむかえて大きく疾病構造が変化する今後の日本の医療現場において、何科の医師であろうと、習得すべき基礎的な技術や経験知になっていくのではないかとも考えられます。これは決して初期研修の2年間だけで得られる技術ではありません。

私のようにいろいろ迷ってキャリアチェンジをした、というなら仕方ないですが最初から家庭医総合医をやろうと決めている人にとって、他の専門家になってから家庭医総合医になるのは、なんというか、無駄が多すぎてもったいないのです。一方で家庭医総合医→専門医、のキャリア経験の無駄はかなり少ないと思います。

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「臓器別をやってから家庭医総合医をやったほうがよい」という考えやアドバイスをどこから得たのか情報源を学生や研修医にたどってみると、ほとんどが大学や勤務先の専門医の先生のアドバイスであることがわかります。そして、そうアドバイスをする先生の多くは、家庭医総合医としての研修経験がなかったり、家庭医総合医のトレーニングを受けた医師
と接してもいないことすらあり、家庭医総合医は「全般的にみる医者」という程度のざっくりした聞きかじりの理解の上で、アドバイスしていることも少なくありません。

例えば、高校や大学に入学してカーリングをやりたいと考えたとしたら、だれに相談するか。野球部の先輩に相談しても適切な答えが返ってこなかったり「野球のほうがいいよ」というのは当たり前で、やはりまずカーリングをやっている先輩に相談すべきだと思います。とはいえ「カーリング部」が学校にない場合も多く、野球部の先輩に相談するしかないのが現実ですし、相談された野球部の先輩も「サッカー」くらいメジャーなら、野球部と相対化して後輩に適切なアドバイスができますが「カーリング」となると、よくわからないままで答えるしかないのです。せめて「カーリング部」が活躍している学校の野球部の先輩(総合医が頑張っている病院の、内科の先生など)に相談できるとよいのですが、、。

でもやはり、カーリングをやりたいならカーリングをやっている先輩に相談するがいちばんで、もし学内にいないのであれば、アンテナを良く張って今回やった企画のようなところに顔をだして学外で相談したり、もっともよい機会は、家庭医総合医ががんばっている病院やクリニックに直接行って、現場を見学させてもらったうえで、そこで家庭医総合医のキャリアを実際に歩んでいる医師に進路相談することだと思います。

では実際に総合医家庭医の先生に「専門医を経てから家庭医総合医になったほうがよいのか?」と質問をしたらどう答えるか? 私のように「むしろ家庭医総合医をやってから専門医をやれ」とまで言う医師はあまりいないかもしれませんが、多くは「もし将来家庭医総合医になろうと思うなら、最初から目指したほうがいい」と答えます。

ガチで家庭医総合医をやっている医師にとってみると「何か他の臓器別専門家をやってから家庭医総合医をやったほうがよいか?」という質問は、「眼科医になるなら、やはり全般的にみられる内科医をやってから眼科医になったほうがよいか?」という質問と同じくらい違和感を感じます。「いや、確かに眼科医になる前に内科を経験するのは役立つだろうけど、そのぶん眼科医としての経験は遅れるよ。眼科で食べて行こうと決めているなら、初期研修でざっと内科をみるくらいでいいんじゃないの?」と答えるのが一般的だと思います。

家庭医総合医のキャリアも同じ。他の臓器別専門の経験はいろんな意味で役立つかもしれないし、意識的に遠まわりして医師として視野を広げるのは良いことだけれども、一般論として皆にそれが良いキャリアとは言えません。
「どうしても内視鏡に興味があってスキルを得たいのですが、将来は家庭医としてやっていきたいので、家庭医の後期研修の前に、内視鏡を1年勉強してから家庭医に行きます」というような、明確な目的でもない限り「なんとなく専門医を経験してから行ったほうが良いのではないか」くらいの気持ちなら、やめたほうがいいし、その専門にとっても「腰掛け」扱いは迷惑な話だと思います。

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私の持論に「家庭医=小学校の先生論」があり、あちこちで喧伝しています(以下、カッコの中は医療界について)。

小学校(プライマリケア・家庭医総合医の現場)では、担任(主治医)が全ての教科の基本的な勉強(全臓器のコモンディシーズ)をひとりで教えます。中学高校(中病院、大病院)と進学するにつれて勉強(疾患)がより専門的となり、教科を担当する教員(医師の専門)も細分化していきます。

学校の目的も、小学校(プライマリケア現場)では基本的な良い生活習慣をつけること(同じ)や、それを家族とともに見守り支える環境づくり(同じ)を通して、生きるチカラの基礎をつくる(予防医学や健康の基礎をつくる)ことなどが重要視されますが、進学するにつれて成績や進学(疾患の診断と治療)がより重要視されるようになり、大学(大学病院)では研究(同じ)も大切な役割となってきます。

この違いは、良い悪いとか上下とかでなく、それぞれのニーズと役割の違いなのです。しかし、家庭医総合医プライマリケア医が普及していない日本において、小学校の生徒(地域のコモンヘルスプロブレム)であっても、高校(大病院)に出向いて、高校の先生(専門医)によって教育(診療)されることが多いのです。高校の先生は小学校の先生になるトレーニングも受けてなければ、教育(診察)する場も高校(大病院)なので、どうしても「牛刀をもって鶏を割く」「東京ー品川間で新幹線を使う」ようなことにもなってしまい、ニーズとのミスマッチが生じてしまいます。高校の先生が圧倒的に多いので、小学校の先生を下にみる風潮などもあるかもしれません。

「開業医」が小学校の先生の役割を担っているのではないかと思われるかもしれませんし、実際にそうだとも思います。開業医は「勤務医ー開業医」というような雇用形態を指すので、必ずしも同列に並べるのは不適切なのですが、一般的に「主治医・かかりつけ医」という意味で開業医と用いられることがあります。
いまの日本の一般的な開業医のキャリアパスは、総合病院で10年ー20年ほど何かの臓器別専門医として働いたのちに、ソロプラクティスの形態で開業する、というパターンが多いです。残念ながら開業前に、家庭医総合医プライマリケア医のトレーニングを受けてから開業する、という先生は多くはありません。

これを「家庭医=小学校の先生論」で言うと、「ずっと高校の先生として働いて一つの教科を教えていたのに、突然、同僚もいない一人で働く小学校に赴任して、小学生の担任になり全ての教科を教えることや、生活指導も求められることになった」ようなものです。◯◯の専門でしたと、いったところで、街で開業すれば、臓器をとわずコモンディシーズが来るのはあたりまえです。

ただし日本の多くの医師は優秀で真面目なので、トレーニングなくひとりで小学校に赴任しても、自己研鑚でなんとか小学校(プライマリケア)の現場のニーズにあわせたスキル(医療スキル&コミュニケーションスキルなど)などを磨き、何とかやっています。

ですが、やはりとはいえ、高校の先生になるトレーニングと小学校の先生になるトレーニングは異なるものですし、小学校の先生になるならば、小学校の現場で、小学校の先生である指導者に指導をうけながらトレーニングを積むべきです。なにより小学生(患者さん)にとっても、やはり小学校の先生のトレーニングを受けた先生に担任になってほしいと思うはずです。トレーニングを受けない高校の先生が多く小学校に赴任するので、どうしても小学校の先生としての質にバラつきが出てしまうのは否めません。

蛇足ですが、総合医になりたいために、初期研修終了後もずっとローテーションを続ける医師もいますが、それはやめたほうがよいと思います。高校の先生として全教科の先生のトレーニングを受けたとしても(後期研修として全臓器別のローテーションを行っても)、小学校の先生にはなれない、ということです。

かなり遠回りになりましたが、要は、臓器別専門医になるトレーニングと家庭医総合医になるトレーニングは、目的も質もそもそも異なるものなのだ、ということを言いたいのでした。

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「臓器別をやってから家庭医総合医をやったほうがよい」というアドバイスの心理のうらに、私はアイデンティティーと専門医に関する意識があると思っています。

まず、家庭医総合医をよく知らない医師にとって、まずそのような領域があってそれを専門としている医師の存在そのものがわからないため、それがアイデンティティーを持てる分野であるということがわからない。または「開業医」を下にみるのと同じような感覚で「なんでも診られる医師」を下にみている意識からアイデンティティーが持てない領域と考えているかもしれません。

だからこそ、「何かひとつ専門医としてアイデンティティをもつようになってからであれば、家庭医総合医のようなアイデンティティーが不明確な領域に行っても、揺らぐことはないのではないか」という意味で、学生にそのようなアドバイスをする心理が働いているかもしれないのですが、自分も意識しない隠れた文脈(Hidden curriculum)でそのようなアドバイスをすると、敏感な学生にとって「家庭医総合医は不安定な存在なのか」ということが伝わって、よけいに不安を増長させる要因になっているのかもしれません。(・・・かなり仮説が入っていますが)

また専門医という資格については、昔から医学界では学位と専門医は「足の裏の米粒」と揶揄されていて「とってもとらなくても同じだけれど、とらないと気持ち悪い」ということで、実際の就職における不利益や資格による業務の制限などないにもかかわらず、「みんなとっているから」「とらないと何となく不安だから」という理由で学位や専門医をとる風潮にありました。上記のアイデンティティーの問題とも関係しますが、言ってしまうと不安の解消のため、箔をつけるという意味で学位や資格をとっていました。そうした意味で「何か他の専門医で”箔”をつけてから家庭医総合医になったほうがいいよ」というアドバイスをしている意味にもとれますが、これは2重の意味で間違っています。

ひとつは、既に家庭医総合医にも、日本プライマリ・ケア連合学会が認定する「家庭医療専門医」という専門医制度があり、家庭医の研修をうけて試験に合格すれば専門医の資格は取得できます。ただ、もし家庭医療専門医を「格下の専門医」と考えているならば、「格の高い専門医」の取得を先にすすめる、という心理も納得はいきます。ただし、どちらの専門医にしても現行の制度化では、資格は各学会が独自に試験を行って資格を付与するために、どうしても甘い判定の資格になることがあり、必ずしも専門医を取得していることが、その医師の本当の実力・質の担保を保証しきれていないですし、専門医の取得が何かの特別な医療行為を認められる免許などにもなっていないのです。

ふたつめに「専門医」についてはいま国が大きく動いており、平成29年度からは、学会ではなく、第三者機関(http://www.japan-senmon-i.jp)が認定する医師を専門医とする養成が始まります。いままでバラつきのあった専門医の質の担保を、国がしっかりと行うようになるほか、医師は基本的に「基本領域」の専門医のいずれかを取得しなければいけなくなることや、看板の広告なども第三者機関が認定した専門医のみが表示できるようになることが検討されています(http://goo.gl/KxPLmO)。

基本領域、とは「内科」「外科」などの大きな領域であり、その下にサブスペシャリティ−領域としての循環器専門医、血液専門医となるのですが、現在の家庭医専門医は「総合診療専門医」と名前を変えて、この「基本領域」で内科・外科・小児科などと並んだ「基本的な専門医」の一つとして組み入れられることが決まっています。
つまり、いままで「足の裏の米粒」だった専門医が、国(第三者機関)が質の担保を保証するようになったうえで、基本的に医者になったらどれかの専門医をとらなければならない、という基本の専門医のひとつとして「総合診療専門医」が、独立して認められるようになるのです。

内科・小児科、とは別の、基本領域としての総合診療専門医を国が認定する、ということとなれば、これは「別の専門をやってから、家庭医総合医になったほうがよいのではないか」とは、ますます言いづらくなってきます。

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さて、いままでの話から「別の専門医をやってから、家庭医や総合医になったほうがよい」といえる理由があまりないことはわかっていただけたと思うのですが、そのうえで、さらに家庭医や総合医が、より狭い領域の専門性をもつ、というキャリアについて述べたいと思います。

例えば、とくに大学病院などにおいて、呼吸器内科医になって専門医を取得したのちに「夏型過敏性肺炎」により興味をもって深く調べたりその疾患の専門になる、ということはありますよね。
実は家庭医総合医の世界でも似たようなことがあり「スペシャル・インタレスト」などと言ったりします。家庭医のトレーニングを積んでいくなかで、家庭医の周辺領域についてより面白くなり、その領域の専門性を高めていくことで、だんだんと家庭医としての色が出てきます。
私が家庭医のトレーニングを受けた研修病院でも、感染症・思春期・スポーツ・緩和ケア・小児科・産科、など家庭医総合医の周辺領域に感心をもって深く追求している同僚がいました。自分も考えてみると、医療連携や地域包括ケアの実践、という部分でスペシャルインタレストをもっており、いまの平塚の地で、医療や福祉関係の職種はもちろん、NPOや行政の方などと様々なレベルとつきあって講演したりプロジェクトを持つことで、”まちづくり”に携わることを喜びとし、ライフワークにしつつあります。

家庭医総合医軸足をおいてスペシャルインタレストを持つ医師が多いのですが、中にはより深く追求するために、家庭医の後期研修のあと産婦人科の研修や緩和の研修に進んだ仲間もいます。リハ医になった先生もいました。そういえばアメリカの家庭医のプログラムでは、家庭医のレジデントを修めたあとの、正式なサブスペシャルの研修コースとして、老年医学とスポーツ医学、が用意されており、それを収めるとさらにそのサブスペシャルの資格が得られる、という仕組みもあります。

冒頭で、家庭医の研修を修めたあとで、全く異なる専門医になったとしても役立つことは多い、ということを述べましたが、「専門医をやってから家庭医になるほうがよい」「いやその逆がよいのか」という議論とは全く関係なく、家庭医総合医の研修をおさめたあとで、より興味のある周辺領域を深く専門的に追求する、というのはとても自然な、ひとつのキャリアパスとして、家庭医総合医の世界には既に存在します。

ーーー
おまけ;

参加した医師からは、このパーティー全体の感想として「以前と比べても、この分野を志望する学生の悩みがあまり変わっていない」「志望者は増えてきた感じはあるが、まだまだだ」という意見も出ており、それは自分も納得したのですが、同テーブルのF先生との話で、別方向にも盛り上がりました。

イノベーター理論(http://goo.gl/8uSTb)でいえば、家庭医ウン十年のF先生は、あきらかにイノベーター。そして私はちょっと後のアーリーアダプターくらい。
イノベーターとしては、とにかく家庭医総合医は日本になく新しい、というところが重要なので、周囲が理解していなければいないほど、反対されればされるほど反骨精神にも火がつくし、やる気が燃えてきます。

私のようなアーリーアダプター世代は、周囲に反対されたりすると「いやいや分かっていないなぁ、これからはこれが時代のニーズなんだよね〜」なんて心で思いながら、新たな道に飛び込みます(やな奴だなぁ笑)。

もし総合医家庭医が今後普及するならば、いまくらいがちょうどキャズムを超えたあたりで、これからアーリーマジョリティーがぐっと押し寄せてきます。それは今回のパーティーでも大きな好ましい方向として、会は閉めたのですが、一方で普及する代償としてしきりにF先生が言っていたのが

「エッジが効かなくなる」

ということ。
そして、エッジが効かなくなると「急速に興味を失う」と 笑
なんともイノベーターらしい意見だなぁと思いますが、アーリーアダプターの私としても、その意見には頷きました。

今回、この長文のテーマにした悩みにしても、悩みそのものは、悪くいえば周囲の「ゆさぶり」からくる不安なのですが、イノベータはもちろんアーリーアダプターくらいまでは、むしろ周囲に仲間がおらず、ゆさぶってくるからこそ萌える、いや、燃えるのですが、キャズムを超えると、ゆさぶりに不安になる世代が多くなってきてしまうのかなぁ、なんて思いました。

長文おつきあい、ありがとうございます。
この記事は公開設定にしておきますので、奇特な方はシェアいただければ、議論のタネにしたいです。お願いします。

病院総合診療のブルーオーシャンをどう切り開くのか

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ブルーオーシャン戦略をほぼ読了した。

とても、面白い本で最近の一番のヒットかも知れない。

 

とある先生が、小規模病院はブルーオーシャンと仰っていたが、意味が少し分かった気がする。

というよりも実は病院総合診療の業界はブルーオーシャンになりうるチャンスが転がっているのではと思った。

既存の業界よりも融通が効く分、新しいことに挑戦が出来るのではないか。

 

Tフォードが何故売れたのか。

それは、当時高級階級にのみ手が届く存在であった自動車を、大衆の移動手段である馬車と同水準の値段と堅牢性で提供できたからである。

当時、自動車は実用性とは程遠い高級な嗜好品であった。。

 

病院総合診療の世界はどうか?

ドクターGのようなスーパーマンにしか出来ないという風潮ではないか?

教育は充実していても、QOLは二の次でストイックな人でなければ難しいのではないか?

 

QOLも重視し、オンオフをはっきりし、しかし幅広い症例を十分に経験ができ、専門科も含めた教育的なフィードバックも充実していて、希望者は臨床研究もすることが出来る。

これを実現するためのバリューイノベーションが病院総合診療の世界でも必要なのではないか??

 

どうすればよいのかは分からない。

しかし、不可能ではないと思う。

小規模病院での病院総合診療は実はこのようなバリューイノベーションがやりやすいのではと思う。

大規模病院でこれを実現するためには、アメリカのホスピタリスト制度が大いに参考になると思う。

つまり分業を徹底し、ノクターニスト、サインアウト制、ナイトブロックなどを導入しオンオフをしっかりと切り替える仕組みを作る。

そして、そのシステムを作ってもなお経営に貢献できる仕組みを作る必要がある。

診療看護師も非常に大切なファクターになるだろう。

各々がブルーオーシャンを切り開き、業界自体を大きくする必要があるのだと思う。

ブルーオーシャン戦略は少ないパイを奪い合うことではない。

パイ自体を大きくすることで、win-winの関係を作り出すことに意味があるのだと考えている。

 

 

大学における総合診療

第15回 日本病院総合診療医学会 学術総会

 

第15回日本病院総合診療医学会。

「Where dreams come true
~市中と大学のコラボレーション~

という若手セッションのパネリストとして参加ました。

 

やはり、大学の力は偉大だと再認識しました。

市中病院でずっと来ていて臨床だけで、やってきましたが、アカデミックな面でも組織としての力という面でも大学で総合診療をやる意義について改めて重要性を再認識しました。

総合診療の領域で有力な市中病院と大学との連携に未来があるのではと夢が膨らみました。

市中病院でずっとやった後に大学に行くというキャリアもありなのかなと。

順天堂大学総合診療科の皆様が一致団結し、とても雰囲気良くされているのに触れ、そういう意味でも大学は良いかもしれないと思いを新たにしました。

得るものが多い学会でした。

本当にありがとうございました。

 

総合診療医はベンチャー

総合診療専門医が来年度より開始されることがほぼ決定された。

総合診療専門医は基本的には、内科1年、救急3ヶ月、小児科3ヶ月、残りは総合診療Ⅱ(病棟・病院)、総合診療Ⅰ(診療所・在宅)、選択研修で合計3年で構成される。

既存の家庭医療専門医をベースに、内科を強化したプログラムであり、バランス良くローテーションが可能になっている。

とはいえ、全く新しい制度なので、初期研修医2年目の先生にとっては不安があると思う。

 

確かに将来、サブスペシャリティ内科に進む先生は新内科専門医プログラムに行くべきだと思う。

総合診療専門医からサブスペシャリティ内科への道筋が不透明であるからだ。

とはいえ、開業を考えている、総合診療・総合内科的なことをやりたい、地域医療に貢献したい、地元の小規模病院で内科医として勤務したい。

専門医志向が強くなく、そのようなニーズがあれば総合診療専門医は選択肢の1つに入る。

新内科専門医のプログラムでは少数のプログラムを除いて、基本的には専門内科のローテーションを行うことになる。

そのようなローテーションだけでは、総合診療的な考え方を身につけることは困難かもしれない。

高齢化社会ではマルチモビディティが重要なテーマになる。

先日、総合診療という雑誌でもテーマとして取り上げられていた。

http://www.igaku-shoin.co.jp/journalDetail.do?journal=88968

 

高齢化社会では、例えば心不全COPD、糖尿病を合併した患者が脳梗塞を起こし、さらに誤嚥性肺炎になるという生物学的問題が複雑な例は枚挙に暇がない。

さらに、認知症とせん妄も合併し高齢独居でキーパーソンが不在といった精神的・社会的問題が合併すれば、さらに複雑性が高まる。

このようなマルチモビディティ、複雑性に対して通常の内科ローテーションの研修だけでは物足りない可能性はある。

マルチモビディティおよび複雑性を扱おうと「意識する」環境と、それらに長けた指導医によるフィードバックが必要であるからである。

仮に内科のプログラムであっても、総合内科的な素養を持ったプログラムでの研修が必要だろう。

 

新総合診療専門医とは誤解を承知で言えばマルチモビディティ、複雑性の専門科であり高齢化を迎えるこれからの社会で必要とされる人材だと思う。

また、今後AIが毎違いなく医療に導入される。

AIが導入された未来における医師の役割として総合診療専門医が益々クローズアップされるはずだ。

つまりAIが下した医学的な判断に関して患者の意思決定支援をする存在として、生物学的問題だけでなく社会的問題や精神的な問題にもアプローチでき、かつ主治医として患者に寄り添う総合診療専門医が必要となるかもしれない。

 

総合診療専門医に対するネガティブキャンペーンをする専門医も残念ながら存在すると聞く。

今の不透明な状況では内科などの比較的定まったキャリアパスを選ぶほうが確かに無難だと思う。

とすれば、総合診療専門医は選択すべきではないのだろうか?

 

先日の勉強会で、とある大御所の先生が、総合診療医はベンチャーだと仰っていた。

そもそも、新しい分野を開拓することにはリスクは付きものだが、それを克服し前に進むことをベンチャー精神と言うのだろう。

今は世の中を席巻しているアップルなどのIT企業も最初はベンチャーとして批判を受けていた。

総合診療専門医は未開の地だからこそ、可能性があるのだと僕は信じている。

病院総合医による「総合内科病棟システム」

病院総合医と呼ばれる医師も、内科系の医師と家庭医療系(新専門医制度では総合診療専門医)の医師が混在しているのが日本の現状だと思います。

どちらのキャリアパスでもよいと思いますが、前者は内科に関しては深く診療できますが、後者のほうがより広い視点をもっているので、お勧めのキャリアパスです(個人的にも在宅・診療所や小児科の経験が無いことが負い目になっています。)

しかし、実際問題として潜在的に最もニーズがある分野は専門内科に将来進む医師に対して、幅広い視点の内科教育を行うという点だと考えています。

内科の各科をローテートをするのではなく、最低1年間は総合内科と専門内科がコラボをして全ての内科疾患を同時並行に診療するという「総合内科病棟システム」を構築することが必要なのではと考えています。

米国の内科病棟教育のようなイメージです。

そして、昨今はじまろうとしている内科専門医制度におけるJ-OSLERを用いた後期研修医教育は、この「総合内科病棟システム」にマッチするのではないかと考えています。

「総合内科病棟システム」は後期研修医にとって潜在的なニーズがかなりある分野で、実際にそれを実践できている病院が少数である点から、いわゆるブルーオーシャンになりうると考えます。

しかし、主に4つ課題があると思います。

1つ目は病院経営に対する貢献です。このようなシステムが後期研修医を集めるのに効果的だとしても、病院経営に対してマイナスに働くとすれば砂上の楼閣になるだけかと考えます。

2つ目は専門内科に対する貢献です。つまりこのシステムがあることで、専門内科と総合内科がお互いにwin-winの関係になる必要があるのだと思います。先日の勉強会では、総合診療センターを設立し、そのなかに総合内科だけではなく専門内科も入ってもらう案も出ていました。とはいえ、専門内科の先生方にはご自身の専門分野に集中して頂くような体制も必要だと思います。

3つ目は病院のトップの理解です。このシステムを作ることが病院のミッションとして重要であるというトップの強い意思が必要になると考えます。

4つ目はマンパワーの問題です。「総合内科病棟システム」を維持するためには、マンパワーが必要ですが、新内科専門医制度では1年間基幹病院外の勤務が義務付けられています。ここを補うためには診療看護師の活用がカギになるのではと考えています。

病院経営者の観点で考えても、「幅広く診療ができる内科医」というのが最も分かりやすく、実際に必要とされているニーズなのではと感じます。

総合診療医を増やす活動をしつつも、当面は最も病院側にも研修医にもニーズがある「内科」という分野でどのように存在感を示せるかが今後の課題だと考えています。

個人的には中~大規模病院で、このようなシステムを作ることが出来ればひとつのロールモデルになりうるのではと考えています。

 

第12回ジェネラリスト教育コンソーシアムの印象

先日、第12回ジェネラリスト教育コンソーシアムに参加してきました。

尾島様の許可を頂きましたので、参加者として寄稿した文章を共有します。

 

第12回ジェネラリスト教育コンソーシアムの印象

 

京城東病院総合内科 森川暢

 

第12回ジェネラリスト教育コンソーシアムが9月3日に東京大学で行われた。病院総合医に関するテーマで行われたが、奇しくもジェネラリストのこれからを考える会(GPEP)の会場でもあった場所で、GPEPの代表をされていた木村先生の講演で幕を空けた。歴史は螺旋を描きながら進んでいるのである。木村先生の講演の中でジェネラリストは、外見は違っても本質は同じであるという趣旨のスライドが出てきた。その本質は「たらい回しをしない」、「船頭≒主治医である」の2点である。病院総合医も家庭医も同じジェネラリストであるという藤沼先生の言葉で会は幕を閉めたが、徹頭徹尾今回のコンソーシアムのテーマはそこであったのだと思う。

 また病院総合医と専門医との関係性についても考えさせられた。本来、病院総合医がいることで専門医は仕事がしやすくなり、病院総合医は専門医からフィードバックを受けることが出来るというwin-winの関係性を構築することが理想である。しかし現実的には難しいという意見も散見された。川崎市立多摩病院の「総合診療センター」の取り組みが紹介されていたが非常に先進的であった。内科専門医も総合診療センターのチームの一員となり、同センターを病院の教育における中核に据えるという構想であった。さらに、そのような構想を実現させるためには院長をはじめとする病院の上層部の強力なバックアップが必要であることも必須条件であることも改めて認識した。

 実地で臨床をしている診療看護師の講演も非常に勉強になった。個人的には、病院で診療看護師のプログラム作成に携わり診療看護師と働いているためより切実な問題であった。診療看護師はこれらかの時代間違いなく必要で、病院総合医にとっては切っても切れない関係になる確信がある。その意味でも先見の明があるテーマであったと思う。

 最後に、日本の病院総合医は、従来の総合内科(GIM)と家庭医療学を融合させた医師像であると考える。大西先生のご講演で1999年の論文で同様の趣旨が発表されていることを知った。奇しくも私は、東京城東病院でGIMと家庭医療を融合させたコミュニテイホスピタリストという概念を打ち出したところである。やはり、歴史は螺旋を描きながら、しかし着実に前進しているのである。病院総合医の歴史を歩んできた先人たちの知恵や実戦を受け継いで、歩んでいこうと心を新たにした。